大分県大分市にあった城で日本100名城の一つです。
府内に入封した福原直高が 1597年に築城しましたが改易され未完成でしたが、関ケ原の戦い後に入封した竹中重利に引き継がれ 1602年に完成します。
1658年に松平忠昭が城主になると明治まで松平氏が城主を務めます。
明治に入ると大分県庁として使用されますが、第二次世界大戦の大分空襲によって多くの櫓は焼失しました。 現在は大分城址公園として使用されています。
大分城址公園内に駐車場はあるのですが、LEDによる天守ライトアップ作業の為なのか使用する事ができませんでした。 周辺の駐車場も探したのですがバイクが停められる所が見つからず、結局、本丸櫓台の下の方が駐輪場のように使われていたのでそこに便乗しました。
奥に見えるのがLED照明による天守です。
大手門
100名城のスタンプが置かれている大手門に向かいます。
現在駐車場がある辺りが西ノ丸があった場所ですが、大手門はそこへの出入り口となります。
1945年の大分空襲で焼失しており、現在の門は1965年に復元された物です。
府内城の地図なども置かれているので先に立ち寄ると良いかも知れません。
着到櫓
大手門の出入り口を守備する位置に置かれた櫓です。
こちらも 1965年に復元された物なので、大分空襲で焼失したのだと思われます。
内側から見ると、鉄筋コンクリートで土台を作った上に櫓を復元した感じです。
石垣とかは残ってなかったのでしょうか?
東ノ丸の櫓
東ノ丸には着到櫓を含めて4つの櫓が存在していたようです。 その内、三階櫓を除く他の櫓も復元されてますが、平櫓とされる場所にも二階櫓が建てられているので、それほど忠実に再現している感じでは無いのかも知れません。
個人的には天守の次に大きな建物だった三階櫓を優先して復元して欲しかったです。
天守台
望楼型の四重天守だったそうですが、1743年の火災で焼失しており、再建もされませんでした。 四方を囲む連立式天守だったようですが、二階櫓との連立部分が一部だけ残されています。 石垣の一部が崩落しており、そこから天守台に登る事ができます。
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