福岡県 太宰府政庁跡、坂本八幡宮
2019-04-30


太宰府とは、7世紀後半頃に大和朝廷によって九州筑紫に置かれた地方行政機関です。
吉備、周防、伊予にもあった太宰府は 701年の大宝律令によって廃止されますが、筑紫だけは海外交流の重要拠点として存続し続けます。
太宰府が何時頃まで存続していたのかは不明なようですが、12世紀前半頃の遺跡が確認されています。

悪天候の中の訪問でしたが、少し離れた場所にある坂本八幡宮臨時駐車場に駐車します。
太宰府政庁跡に一番近い駐車場は大変混雑しており駐車するのは難しそうでした。
ただの空き地のような駐車場なので水溜まりも多く足元はだいぶ悪かったです。
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太宰府展示館
先に太宰府展示館によってから散策する事にします。
中に入ると大変な混雑状況にびっくりしました。 どうやら新元号「令和」ゆかりの地である事と、今日は「平成」最後の日でもある事からのようです。
ひょっとしたら明日はもっと凄い混雑になるかも知れないですね..。
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展示館の中で公開されていた発掘した時の状態の素掘り溝です。
時期は断定されてませんが8世紀頃に役所の区画を仕切る目的で掘られたと考えられています。 幅 80cm、深さ 30cm の溝です。
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こちらは玉石敷の溝です。 先ほどの素掘り溝よりは幅は広そうですが底が浅い感じがします。 配水用と考えられているそうですが、玉石を敷いている事からこちらの方は「見られる事」を意識している感じがします。 溝の廃絶期は平安時代中期と考えられています。
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実際に太宰府政庁跡を歩いてみます。
ここは廻廊があったと思われる所から東脇殿の方向を眺めた所です。
配水用でしょうか? 廻廊の内側には溝が掘られています。
太宰府政庁の建物はシンメトリーに配置されているので、礎石跡を見るだけだった片方だけ見れば良さそうに思えますが、一応、ぐるっと回ってみます。
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南大門を通過した先には中門があり、ここが中門があった場所です。
中門の両側には廻廊が繋がっており、門の先には廻廊に囲まれた空間が広がります。
中門は思ったよりも小さい印象を受けます。 素通りしそうでした。

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