山形県 米沢城跡
2023-07-16


米沢城は山形県米沢市にある平城で続100名城の一つです。
正確な所は不明ですが、1923年に地頭だった長井時広が築城したのが始まりと伝わります。
米沢城は 1548年に伊達晴宗が本拠地を米沢に移した時に本格的な整備が行われ、伊達政宗が豊臣秀吉の命で岩出山に移封されるまで伊達氏の本拠地でした。
伊達政宗の後に米沢城に入ったのが蒲生氏郷で、1598年に蒲生氏が宇都宮へ移封になると上杉景勝が会津に入り、直江兼続が米沢城の城主になります。
関ヶ原合戦で負けた西軍に組した景勝は大幅な減封となり、1601年から米沢城は景勝の居城となります。 それ以降、廃藩置県で廃城になるまで米沢城は上杉氏の居城となります。

松が岬おまつり広場 駐車場
非常に大きな駐車場で、駐輪スペースにバイクを停めさせてもらいました。
現在の米沢城の本丸部分は上杉神社になっています。
上杉神社は、景勝が謙信の御霊を祀った霊屋と鷹山を合祀して出来た神社です。
米沢城のほとんどは都市開発で当時の面影は残っておらず、上杉神社がある本丸部分が辛うじて当時の縄張りの形状を残している程度です。
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上杉鷹山像
財政的に破綻していた米沢藩を再興した名君、上杉鷹山の像です。
1767年に上杉鷹山が 17 歳で家督を相続した時、既に財政は最悪の状態でした。
早速、大倹約令を発令し、藩主自ら生活費を 2/7 に削る大倹約を行います。 倹約に合わせて、農業改革や殖産興業を発展させるなどの数々の対策を実施します。
「なせば成る なさねば成らぬ何事も」の言葉で有名な人物ですね。
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松岬神社
上杉鷹山を祀る神社で、上杉神社の摂社になります。
1902年に上杉神社から上杉鷹山公を分祀し、松岬神社が創建されました。
1923年には景勝公を合祀、また、1938年には直江兼続、鷹山の師である細井平洲、鷹山の改革を補佐した竹俣当綱、莅戸善政が合祀されました。
ここは素通りする人も多く、意外と静かな場所でした。
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上杉神社・参道
有名な観光地でもあるので、参拝者が非常に多いです。
この橋の先が米沢城の本丸だった場所です。
鷹山公が上杉神社から分祀されたので、現在の御祭神は上杉謙信公だけのようです。
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内堀
米沢城は輪郭式の縄張りで、本丸を囲むように二之丸、三之丸が配置されていました。

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