田丸城は 1336年に北畠親房が伊勢の拠点として築いた城です。
北畠氏は 1342年に落城した時に今朝訪問した
多気北畠氏城館に拠点を移したとの話がありますが、その後も北畠氏が田丸の姓を名乗ってこの地に残っている事を考えると、一度落城したけど取り戻したと言う事でしょうか?
織田信長が伊勢に侵攻した後、1569年に北畠具教が降伏しています。 この時、織田信雄は具教の養嗣子となり北畠姓を名乗っています。 1571年に田丸城は信雄に譲り渡されており、1575年に田丸城は大幅に改築されます。 この頃、信雄は織田姓に戻っており、北畠氏はなんだかんだで城を乗っ取られた印象を受けますね...。 しかし、1580年に火災で田丸城は消失し、信雄は松ヶ島に移っています。
1584年に田丸直息が田丸城主に復帰してますが、この事は本能寺の変で織田信長が討たれた事も影響しているのかも知れません。 1619年からは久野氏が幕末まで所領します。 ただ、城主が在城する事は無く、城代に任せていたようです。
田丸城駐車場
津城を出発した時にパラつき始めた雨は、田丸城に着いた時には本格的な雨になってました...。
田丸神社近くの駐車場にバイクを停めますが、駐車場はガラガラでした。 この雨の中、散策に来る人はあまりいないのでしょう...。
村山龍平記念館の駐車場にバイクを停めて田丸城を散策しても良いのか分からなかったので、ここから村山龍平記念館に歩いて続100名城のスタンプを押しに行きます。
C58414蒸気機関車
村山龍平記念館に行く途中に展示されていた機関車です。
C58型は 1938年から製造を開始した中型の蒸気機関車です。 1946年から 2年間に第2形として 45両が製造され、その内 39両が戦後に接収されました。 この車両は残った 6両の一つで、函館線、千歳線で運用されていました。 1973年に廃止された後、現在の場所に展示されています。
この地域とは直接関係は無さそうですね...。
村山龍平記念館
続100名城のスタンプは出入り口付近に置かれていたので、受付まで行かなくてもスタンプが押せました。 村山龍平は旧田丸藩藩士だった人物で、1881年からは朝日新聞社の社主でした。 国会議員を務めた事もあります。 展示室の方も見学して行こうかとも思ったのですが、ズブ濡れ状態だったので今回は見学せずにそのまま田丸城を見学する事にしました...。
記念館やお城広場の辺りは昔の郭跡のようで、お城広場付近には代官屋敷があったようです。
三の丸御殿奥書院
資料館の隣にありました。
1677年に三ノ丸に建てられた御殿奥書院の一部を 1991年に移築・復元した建物です。
田丸城の建物は廃城後に全て取り壊されるか売却されましたが、奥書院の一部が農家に移築されて住居として使用されていました。 1990年に住宅を改築した時に玉城町が譲り受け、現在の場所に移築・復元したようです。
一部とは言え、当時の建物が残っていたのは良かったです。
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