1880年(明治 13年)、東京の防御力を高める為、観音崎砲台の建設を着工します。
観音崎砲台は富津岬と観音崎の間に築かれた東京湾要塞の一部で、東京湾要塞の中では一番最初に築かれました。 東京湾要塞には、人工島に築かれた第一〜三海堡、猿島砲台、
千代ヶ崎砲台、
大房岬砲台、
富津元洲堡塁砲台などがあります。
観音崎砲台の多くは大正時代には退役しており、一部が太平洋戦争まで使われていたようです。 ただ、その頃には航空機による攻撃が中心になっており、船舶を想定していた旧式の砲台はそれほど重要では無かったのかも知れません。
観音崎バイク駐輪場
観音崎公園の第2駐車場脇にある駐輪場です。
バイクが停められる駐輪場があるのは良いのですが、停められる台数が少し少ない気がします。 車用の駐車場は周辺に沢山あるのですが、バイクが停められるのかは不明です。
まずは三軒家砲台跡の方を見学する事にします。
観音崎バイク駐輪場から三軒家砲台側に行くのは少し面倒でした。
行き方が分からず、新鴨居隧道の脇から上に登る遊歩道を見つけたのは良かったのですが、ほとんど人が通らないようで蜘蛛の巣が酷かったです...。
あと、行く途中に腰越堡塁跡があったようですが完全に見逃しました。
公衆トイレ付近に「三軒家園地」の案内板があります。 分かりにくいのですが、この案内板の奥の方に見張所だった場所があります。
三軒家砲台 見張所跡
周辺が盛土されていて外からは見えない場所にあります。
円形の土台のような物が残されていますが、どんな設備だったのか想像が付きません。
見張所と言われてますが、周辺よりも低い場所なので、見張り台のような物でも建っていたのでしょうか?
ここから砲台の方に通じる通路があったようですが、周りに雑草が多かったので、まったく分かりませんでした。 もしかしたら冬に見学した方が良いのかも知れません。
三軒家砲台跡
三軒家砲台は 1894年(明治27年)に着工し、1896年(明治29年)に完成した砲台です。
27cm 加農砲が 4門、12cm 加農砲が 2門設置されました。
1934年(昭和 9年)には廃止されていたようなので、太平洋戦争前には砲台としての機能を終えていたようです。
三軒家砲台 第一砲座
ここ、第一砲座には 27cm 加農砲が設置されており、三軒家砲台には第一〜第四までの 4門の 27cm 加農砲が設置されました。 壁面のまだら模様は当時の迷彩塗装のようです。
周辺が石材のブロックで囲まれており、少し低い感じになっています。
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