安土城
2015-05-06


織田信長によって築城された天下布武の象徴ともいえる城です。
1576 年に築城を開始し、1579 年に完成、1582 年の本能寺の変の後に焼失。 有名なわりには資料の少い謎多き城です。

観音寺城の近くにあり、移動途中にある「信長の館」で 100名城のスタンプを入手します。 内部には再現された安土城天守が展示されていますが、残念ながら著作権の問題もあり、写真は掲載できません。
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安土城入り口付近の駐車場に到着。 最近、バイクの調子が悪く、アクセルを戻した時にエンストする事が多い。 その気にかけた駐車場のおじさんと少々雑談。

大手道正面の石塁
大手道の正面を遮るように幅 110 m の石塁で防御されてました。
通常、大手門と呼ばれる出入り口は1個ですが、4つの出入り口があったそうです。 門の跡らしき場所も解っていますが、位置関係が変わっているらしく、どのような門だったかは良く解ってないそうです。
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東側石塁北上段と虎口
大手道へ通じる通路だったと考えられています。 この先に入山料を支払う料金所があります。
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大手道
真っ直ぐと天守方面へほぼ一直線に登ってゆく大手道。
多くの場合、城内の道は曲がりくねってますが、この城の場合は、ほとんど一直線です。
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大手道の部材として石仏がそのまま残されてました。 当時は使える物は何でも使ったのでしょう。 振り返ってみると、良い景色です。 信長が見た風景もこん感じだったのでしょうか。
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羽柴秀吉邸跡
大手道を挟むように重臣たちの屋敷跡があります。 ここは、大手道の下の方にある、羽柴秀吉の屋敷跡とされる場所です。 大手道から邸内への出入り口には立派な櫓門が建っていたそうです。
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羽柴秀吉邸は上段、下段の二層にわかれており、下の写真は下段の部分です。 左奥の方に厩(うまや)が建っていたそうです。 上段へ通じる道を進みます。
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