高知城は本丸を構成する建築物が現存する、日本唯一の城郭です。
元々この地域は水害が多く、築城は困難だったようです。 関ケ原の功績により山内一豊が国入りし、1601 年から築城を開始しました。 一豊は浪人中だった百々安行を家臣として迎え築城を命じますが、完成には10年の歳月が必要でした。
都心部の城郭は例外なくバイクの駐車場所に苦労します。 高知城周辺の駐車場で聞いた所、高知県庁の駐輪場に止めらる事が判ったのでそこに駐車します。
追手門
現在の建物は 1664 年に再建された物で、遠くに天守が見えます。 天守と追手門がそろって残っているのは日本に三ヶ所しかないそうです。 江戸時代の人々もこんな感じで天守を眺めてたのかも知れません。
石樋(いしどい)
天守に向かって坂を登っていくと石垣から見慣れない突起物が出てました。
石樋は、排水が直接石垣に当たらない様にして地面を保護しています。 雨の多い土佐独特の設備らしく、他の城では見た事がありません。
杉ノ段へ
杉ノ段へ通じる階段からの眺めですが、存在感の大きい天守です。 この先の階段を登ると杉ノ段です。
杉ノ段から見た三の丸の石垣です。 野面積みのようですが、綺麗に積まれてます。 平成 12 年に修繕工事をしたようなので、そのせいかも知れませんが...。
鉄門跡
昔は両側の石垣をまたぐように入母屋造りの二階建ての門があったそうです。 本丸に通じる道の重要な門で、内側には番所もあったようです。
今は案内以外は何も無いので、皆、素通りです。
詰門
本丸と二ノ丸を繋ぐ役割をしている門です。
見た感じ、2階建てに見えますが、内部は三層構造の様です。 1階は貯蔵庫、中二階は物置、二階部分を通って本丸へ移動します。
正直、自分がどの部分を通って本丸に移動したのか今でも良く解りませんが、右側の方から二階部分を通過したのだと思います。
二ノ丸へ向かう途中ですが、この位置から見ると、望楼型天守の構造が良く解ります。 三層六階建の天守で、現在の姿は 1749 年に再建された物です。 江戸時代に入ってからは層塔型で再建するケースが多い様に思え、当初の様式踏襲して再建したのは珍しいかも知れません。
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