東京都 滝山城跡(1)
2017-04-30


滝山城は 1521年、武蔵国守護代の大石定重が近くの高月城からこの地に移り、築城したのが始まりとされます。 その後、北条氏の支配下に入ると北条氏照の居城となります。
1569年、武田信玄の猛攻を受けると落城寸前まで追い込まれた事により、氏照は守りを強化した八王子城を築城し、1587年頃に本拠地を移すと滝山城は廃城となります。

滝山城は観光駐車場があるのでそこにバイクを止めて大手口側から散策を開始します。
散策路の周りが竹林に囲まれており、なかなか良い場所です。
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大手口を少し進むと、左側に通路のような物が見えますが、これは通路ではなく小宮曲輪の外側を守る空堀の底です。
最初、山の神曲輪への散策路と勘違いして先に進んでしまいました。 この空堀はかなり深く、当時の面影が良く残っている場所かと思います。
しかし、竹の生命力はすごい...。
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大手門跡周辺
空堀から散策路に戻り先に進むと、大手門があったと思われる場所が現れます。
通路左に沿うように堀が掘られており、その突き当りは土塁が盛られて先が見えにくくなっています。 通路の反対側も深い堀が掘られており、折れ曲がった通路が虎口を形成してます。ここが最初の関門と言った所でしょうか...。
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小宮曲輪
山の神曲輪への通路左側が盛り上がっており、その上が小宮曲輪になります。
北条氏照の家臣、小宮氏の住居があったと推測されています。 小宮曲輪は土塁でいくつかの区画に区切られているようです。
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小宮曲輪桝形虎口
小宮曲輪から山の神曲輪方面へ進み、反対側の入り口となる虎口付近で振り返った所。
盛り上がっている土塁の先が小宮曲輪です。
左側の細い通路が歩いてきた散策路で左側は崖になっています。 この通路を通って内部に侵入しようとすると右側の土塁の上から攻撃を受ける構造になっています。
右側にも通路があるように見えますが、こちらは空堀の底へと繋がっており、この空堀は大手口付近にあった大きな空堀と繋がっています。
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山の神曲輪
先ほどの虎口から山の神曲輪へは、以外と距離があります。 滝山城は思ったよりも大きな城だったのだと実感します。 山の神曲輪は周辺住民の避難場所として使用されていたようです。 この曲輪の先は崖になっており、その先には多摩川が流れています。
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三の丸
山の神曲輪から来た道を延々と引き返し、三の丸へ向かいます。

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