東京都 滝山城跡(2)
2017-04-30


前回の続きです。

中ノ丸
本丸へのルートはいくつかあるようですが、中ノ丸から木橋を渡って行くルートも一つです。
ただ、ここを落とさないと本丸への侵入は難しいかも知れません。
中ノ丸への入り口。 入口は虎口で守られています。
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中ノ丸は結構、広いです。
滝山城とは関係無い話ですが、中ノ丸には「滝山荘」という国民宿舎があったようです。
宿舎自体は平成13年に廃止されてますが、建物の一部は現在でもイベント会場として使用されています。
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中ノ丸の先はいくつかの小さな曲輪がありますが、その先は崖で、さらにその先は多摩川になります。 こちら側から登ってくるのは難しいと思います。
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一応、一段下の曲輪への通路はあったので降りてみました。 下の曲輪から中ノ丸を見上げた所。 この先の散策路は荒れていたので中ノ丸へ引き返しました...。
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本丸への木橋
本丸と中ノ丸の間にある大堀切に木橋がかかってます。 当時の木橋はもう少し低い場所に掛かっていたそうです。 また、大堀切ももっと深かったようです。
緊急時はこの橋を壊して防御したと思われます。 滝山城、唯一の再現建築物と言った所でしょうか...。
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本丸
もう一つある本丸への入り口で南側にある虎口です。 ちなみに木橋からの入り口側もちゃんと虎口が形成されています。 本丸は2段構造になっているせいか、思ったよりも狭く感じます。
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霞神社
本丸上段側の端に霞神社が鎮座してました。
日露戦争戦没者を祀る為に明治45年に創建した物で、その後、大東亜戦争の戦没者も合祀されているようです。 この神社の裏側に本丸の上段側が続きます。
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金毘羅社
近くの碑文を見ると、1781年頃には金毘羅社がこの場所に鎮座していたようです。 年代的に廃城した後なので滝山城とは直接関係ないとは思いますが、滝山城の存在を伝える役割は果たしていたのかも知れません。
平成6年に創建200年事業として社殿を再建したようなので、建物は新しそうです。
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