1580年、織田信長の家臣、佐久間盛政が一向一揆の拠点であった金沢御堂を攻め落し、その地に築城したのが金沢城です。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れると佐久間盛政も斬首となり、1583年、前田利家が新たな城主として入城します。 以降、前田家の居城として使用されます。
バイクを兼六園周辺の駐輪場に停めて散策を開始します。 金沢城に来るのは5年ぶりで、当時は100名城のスタンプラリーを行ってなかったので、スタンプを押す為の再訪になります。
石川橋〜石川門
兼六園側から向かう場合、この石川橋を渡って入城するのが一般的です。
石川橋は百闌@と呼ばれる巨大な堀の上に架かる橋で、現在の橋は明治44年に建てられました。 今は堀底に道路が通ってますが、当時は大きな水堀だったようです。
左奥に見えるのは石川門を防御する石川櫓です。
現在の石川門は 1788年に再建された物です。
この石川門の枡形を形成している石垣が少し変わってます。
門の左右は美しい切り込みハギですが、門の向側の石垣は打ち込みハギで積まれてます。
これは、1765年の改修時に異なる技法で石垣を修復した事によるそうですが、どっちがその時の修理なんですかね...。 一般的には切り込みハギの方が年代的には新しいので、1765年に門を修理し、その時に石垣が切り込みハギになったのでしょうか?
石川櫓
石川門を守る石川櫓。 櫓と門はつながっており、内部を見学する事ができます。
五十間長屋
石川門を通って三之丸に入ると、圧倒的な存在感を放つ五十間長屋が目に入ります。
こちらも橋爪門と共に平成13年に復元された物です。
左側の橋爪門続櫓と、右側の菱櫓を繋ぐ石垣の上に五十間長屋が配置されています。
図面を見ると、両サイドの櫓の幅を合わせると 99.15m もある大きな建物なので、これを木造で復元するのは大変だったと思います。 二之丸側から内部に入る事もできます。
菱櫓
五十間櫓の北側に配置されている櫓で、名前の通り菱型をしています。
北側の石垣を見ると、石の加工状況が少し違っている感じがします。 上の方はかなり綺麗に表面が加工された石が使われていますが、下の方はもう少し荒い加工のように見えます。
近年の修理ではこのような事はしないと思うので、昔の修理跡かも知れません。
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