鳥取県 仁風閣
2017-08-23


鳥取池田家の第14代当主が明治40年に建てた洋館で、「仁風閣」の命名は東郷平八郎によるものです。 この建物は完成後すぐに、当時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の宿泊地として使用されました。
その後、迎賓館、県立科学博物館として利用され、博物館としての役目を終えた後、昭和51年から文化財として公開されています。

鳥取城のスタンプが仁風閣の受付に置かれているので立ち寄りました。
周辺に駐車場が見当たらなかったのですが、近くの案内板を見ると庁北側緑地駐車場が使えそうだったのでそこにバイクを停めます。
禺画像]

駐車場から鳥取城の方へ向かうと仁風閣と鳥取城がある久松山が見えてきました。
周辺は何やら大掛かりな工事が行われてました。 中ノ御門跡前の橋が渡れなかったので博物館側の北ノ御門跡前の橋まで回り道します。 何の工事だろう?
禺画像]

城周辺の水堀は、かなり立派な物です。
現在の鳥取城の遺構は、ほとんどが江戸時代の物らしいので、秀吉が兵糧攻めした時にはこれほど立派な水堀は無かったのではと思います。
奥に見える久松山を見ると、それほど高くは見えないですが、標高差は結構ありそうですね...。
禺画像]

北ノ御門跡
元々、大手門だったらしいが、慶長年間の改修後は搦手門として使用されました。
石垣の積み方的には打ち込みハギでしょうか? 綺麗な石垣です。
禺画像]

入り口に到着。
場所的には二の丸の裾野の辺りなのですが、この辺りは昔は何だったのでしょうか?
結構な広さがありますが、何等かの屋敷があったのでしょうか?
禺画像]

美しい白い洋館です。
池田氏は設計を片山博士に依頼、片山博士の後輩の橋本博士が監督しています。
片山博士は赤坂離宮や、京都国立博物館の設計なども設計も手掛けた人物です。
後期は僅か8ヶ月。
禺画像]

入り口の反対側に回ります。
本当は、こっちが正面なんですかね...。 庭の芝生と白い洋館が物凄く美しいです。
では、スタンプを押しに中に入ります。
禺画像]

館内では鳥取池田家に関する貴重な資料が展示されていますが、やはり建物の美しさの方に目が行きます。 訪問した時は人が少なく、じっくり見学する事ができました。
禺画像]

続きを読む

[鳥取県]
[旅行]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット