京都府 二条城
2017-11-23


1603年に将軍上洛時の居館として建てられましたがが、現在の姿は、後水尾天皇の行幸に向けて改築された時の物です。 ここも家紋が菊紋ですね...。
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二之丸庭園
二之丸御殿の黒書院、大広間から眺められる場所の造営された庭園で、後水尾天皇の行幸に合わせて改修されています。
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本丸櫓門
内堀に囲まれている本丸への出入り口となる、1626年に建てられた門です。
寛永行幸の時に、木橋は2階橋に架け替えられ、2階部分を通って天皇が天守に登られたそうです。 2階橋は昭和まで残っていたそうですが、解体され部材の多くは土蔵で保管されています。
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本丸御殿
1626年に3代将軍徳川家光によって本丸に御殿が建てられますが、1788年に火災で焼失します。 15代将軍徳川慶喜によって再び本丸御殿が建てられますが、1881年に解体されます。
現在の建物は、1893年に京都御所の北東部にあった桂宮御殿の主要部分を移築した物です。
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天守台
築城当時の天守は清流園の辺りにありましたが、城の拡張に伴い淀城に移築されました。
清流園の天守に変わり、この天守台に 1626年に伏見城から天守が移築されたようです。 しかし、1750年の落雷によって天守は焼失し、再建される事はありませんでした。
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仁和寺では少し雨がパラついてたのですが、二条城で晴天。 その為か、天守台から綺麗な虹が見えました。 旅先でこういう風景に出会うと心が和みます...。 綺麗な虹です。
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土蔵
本丸西橋の北側にある土蔵です。 二条城には10棟の土蔵がありましがた、現存するのは3棟のみです。 2階橋の部材が土蔵で管理されているとの事ですが、どこの土蔵だろう...。
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北中仕切門
本丸を挟んで南側にも南中仕切門があります。 この2つの門により城の東西が仕切られています。 1626年頃の建築物のようです。 石垣は切り込みハギですね...。
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