京都府 二条城
2017-11-23


歴史的に重要な場所で、1867年に二条城の大広間(徳川慶喜が意思表明した場所は黒書院との話もありますが...。)で大政奉還が表明されました。
日本の城として世界遺産登録されているのは少なく、他に、姫路城、琉球王国のグスクなどがあります。
二条城が完成したのは 1603年で、徳川家康の指示による物です。 大坂の陣ではここ二条城から出陣しています。 天守は1750年に落雷によって焼失すると、再建される事はありませんでした。 明治に入ると皇室の別邸として使用されましたが、1939年に京都府に下賜、現在は一般公開されてます。

東南隅櫓
今回は、御室仁和寺のバス停から26番のバスに乗って西大路御池に移動し、そこから地下鉄で二条城前駅に移動しました。 地上に出てすぐに東南隅櫓が見えてきます。
二条城は、1624 〜1626年に城の拡張が行われ、現在の規模になりました。 東南隅櫓はその時の拡張時に建てられた物です。 四隅の建てられた櫓の内、現在まで残っているのは東南隅櫓と、西南隅櫓の2カ所になります。
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外堀
立派な外堀です。 でも内側の石垣が少し低く感じます。
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東大手門
発券所で入場券を購入して東大手門から中に入ります。
1662年頃に建てられた2階建ての櫓門ですが、皇室の別邸となっていた頃に上から見下ろさないように1階建ての門に作り替えられた事があったようです。
なので、多少、当時の姿から変わっているかも知れません。
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番所
東大手門を通過すると右側に番所があります。 ここに50人1組の護衛が2組常駐していました。 現在の番所は 1663年に建てられた物で、現存する番所は他の城でも少ないようです。
二条城にも9カ所の番所がありましたが、残っているのはここ1カ所のみです。
番所の裏側にある大休憩所で 100名城のスタンプを押して散策を開始します。
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唐門
豪華な彫刻や装飾が行われている立派な唐門です。 神社にあるような豪華な門で、城には不要に思える門ですが、1626年に後水尾天皇の行幸に合わせて建てられた門らしいです。
よく見ると、家紋が徳川の葵紋ではなく、天皇家の菊紋です。 これは、当時からなのでしょうか? それとも明治に入ってから?
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二之丸御殿
この建物内で 1867年に大政奉還が表明されました。 残念ながら内部の写真撮影は禁止です。 部屋数 33、800畳もある大きな建物で、城郭に残る現存御殿としては唯一の物です。

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