落柿舎は松尾芭蕉の弟子である向井去来の別荘でした。
去来は1685〜6年頃に、この庵を入手します。 庵の場所は現在とは異なりましたが、1770年に俳人・井上重厚によって現在の場所に移築されます。
本庵
玄関脇にある蓑と傘は庵主の在庵、不在を伝えるものだったらしいです。
名前の由来は40ある柿木の実が、一夜にして殆ど落ちてしまった事から付いたそうです。
二畳ほどの玄関の右手は土間になっています。
玄関先とその右奥にも2畳ほどの部屋があります。 玄関左には四畳半と三畳の2間がありますが、ここがメインの空間かと思います。
芭蕉はここに滞在して「嵯峨日記」を記したとされますが、この狭い空間に2人で滞在していたとは...。
次庵
敷地内には句会などに利用されている次庵もあります。 申し込めば利用できるようです。
右が本庵、左が次庵。
それほど広くはありませんが、訪問者が意外と少ないので静かでした。
芭蕉が滞在した頃とは場所が異なるので、当時と雰囲気は異なるかも知れません。
でも、数日滞在して嵯峨日記を記すほどですから、素晴らしい場所だっだの思います。
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