神奈川県 石垣山城
2018-07-01


1590年の小田原征伐の時に、豊臣秀吉の命によって築かれた城です。
一夜にして築かれたように見えた事から「一夜城」とも呼ばれていますが、実際には80日かけて築かれており、最後に木を伐採した事によって一夜にして築かれたように見せていたようです。 秀吉は力の差を見せつける為、千利休らを呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりします。

一夜城の駐車場は結構広いのですが、駐輪スペースは広くはありません。
続100名城のスタンプは、この駐車場のトイレの前にあります。
ここまでの道路は少し狭い上、入り口が分りにくく、坂も急なのでご注意を...。
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南曲輪石垣
だいぶ崩れていますが、当時は上の方まで石垣が積まれていたと思います。
野面積でかなりの高さまで積んでいたようです。
保存状態うんぬんの前に、崩れないのか心配になります。
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登城路は二ノ丸の方へと続いてますが、ここを登れば南曲輪に直接登る事ができます。
復元図を見ると、南曲輪の横に登城路らしき物が記載されているので、恐らくここがその通路かと思います。 本丸の物見台に行くにはここが最短ルートになります。
大きな石がゴロゴロしている場所で、当時の様子とは少し異なるのかも知れません。
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南曲輪
石垣山城の曲輪としては小さい方なのかも知れません。
ここからの眺めは大変良いです。 駐車場の方を見ると意外と高低差がありました。
また、相模湾がすぐそこだったので、こんなに海の近くだった事に初めて気が付きました。
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南曲輪裏の通路を登ると本丸下を通る通路に出ます。
ここを左に行くと西曲輪、右に行くと本丸への登城路や二ノ丸へと通じます。
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二ノ丸
かなりの広さがあります。 石垣山城では一番広い曲輪かも知れません。
「馬屋曲輪」とも呼ばれてますが、どんな建物があったのでしょうか...。
普通の城なら御殿とかがあってもおかしくない広さです。
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この山の上の方が本丸かと思います。
大きな石が散乱してますが、恐らく、これらの石で山の斜面を石垣で覆っていたのだと思います。 石垣の状態はそれほど良くは無さそうです。 どうやら、関東大震災の時に、ほとんどの石垣が崩れてしまったようです。
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