熊本県 熊本城
2019-05-02


戌亥櫓はジェンガのようにギリギリに積み上がった石垣の上に辛うじて建っています...。
もう、この状態で3年も頑張っているようですが、補強とかしてあげた方が良いのではと思います...。 それとも、1本なくなっても大丈夫との判断なのでしょうか?
とにかく頑張って持ちこたえて欲しいです...。
ちなみに、戌亥櫓は 2003年に復元された櫓です。
禺画像]

禺画像]

戌亥櫓の方から加藤神社の方に進みます。
本丸の石垣が完全に倒壊して空堀に散乱しています。
どうやら西出丸周辺の石垣はかなりの被害が手ているようです。
禺画像]

北大手櫓門跡
昔はここには北大手門と呼ばれる櫓門がありましたが、建物は現存せず石垣のみが残されてました。 この辺りの石垣は熊本地震による倒壊は逃れたのですが、石垣に亀裂や膨らみが発生しており危険な状態なので土嚢で応急処置されています。
禺画像]

宇土櫓
近くまで来てみましたが宇土櫓は石垣を含めてほとんど無傷のように見えます。 実際は、壁や床が破損したり、続櫓の倒壊、石垣にも膨らみが発生しています。
宇土櫓は地上五階地下一階の巨大な櫓で、他の城だったら天守に匹敵しそうな櫓です。
宇土櫓は西南戦争でも被害を逃れた貴重な現存建物なので、被害がこの程度で済んだのは幸いでした。
禺画像]

加藤神社
加藤清正を祀った浄池廟がありましたが、明治の神仏分離令によって 1871年に社殿を建て錦山神社としたのが始まりのようです。 その頃の建物のほとんどは西南戦争で焼失しますが神社は 1884年に再建されます。 加藤清正を祀った浄池廟が始まりなので当たり前ですが御祭神は加藤清正公です。
禺画像]

禺画像]

天守、小天守
修復作業中なので近くに行く事はできませんでした。

続きを読む
戻る
[熊本県]
[旅行]
[日本100名城]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット