勝山館の正確な築城年代は不明ですが、館神八幡宮が 1473年に創建された記録がある事から 1470年頃と考えられています。
築城したのは武田(蠣崎)信広で、1457年に発生したコシャマインの戦いでアイヌ軍を破った人物です。
コシャマインの戦いでは道南十二館の内、10の館が落とされ先日訪問した志苔館も落とされた館の一つです。
1514年に信広の子、光広が拠点を松前に移すと中心的な存在から外れ、慶長年間(1596 〜 1615年)には役目を終えて廃城となりました。
勝山館跡ガイダンスセンター
夷王山墳墓や勝山館の発掘資料なとが展示されている施設で、続100名城のスタンプもここに置かれています。 展示資料やビデオを見た後、ガイダンスセンターの裏側から勝山館跡に向かいます。
夷王山墳墓群
勝山館の裏側は600基の墓からなる夷王山墳墓群が広がります。 墓は武田氏一族や上ノ国を支えた人々の物と考えられています。
仏教様式で埋葬された墓が中心ですが、アイヌ様式と思われる物も存在し、勝山館にはアイヌ人も存在していたようです。
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