埼玉県 川越大師 喜多院、仙波東照宮、日枝神社
2019-10-06


埼玉県川越市の喜多院の始まりは 830年に慈覚大師によって創建された無量寿寺だとされます。
1205年、1537年には戦乱による被害を受けているようで、何度か再興されているようです。
1611年に天海僧正が川越で徳川家康に接見した後に寺院は大規模な改修工事が行われます。
1638年の川越の大火でも山門以外はすべて焼失しますが、徳川家光の命ですぐに再興され、東照宮、日枝神社はその時に創建されます。 それらの事からも徳川家との結びつきの強さを感じる寺院です。

どろぼうばし
川越駅から Google Map で地図を見ながら歩いていたら裏口のような場所から喜多院に入る事になりました。 その出入り口の一つが「どろぼうばし」と言う変わった名前の橋です。
喜多院と東照宮は幕府による御朱印地(寺院の領地として安堵された土地)だった為、町奉行でも捕物を行う事ができませんでした。 それを知っていた盗賊がここにあった丸木橋から寺院に逃げ込みますが、寺の男たちに捕らえられ僧侶に諭されます。 寺の願いにより改心した盗賊は罪を許され、以降、罪を犯す事はありませんでした。 その事から逃げ込んだ時の橋は「どろぼうばし」と呼ばれるようになったそうです。
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松平大和守家廟所
どろぼうばしから喜多院に入るとすぐに目に入るのが松平大和守家廟所です。
江戸時代後期(1767 〜 1866年)に川越城の城主を務めた松平大和守家で、川越で亡くなった5人の当主(5代目朝矩、6代目直恒、7代目直温、8代目斉典、10代目直候)の廟所です。
敷地の広さの問題なのか、10代目直候の廟所だけは他の廟所と向かい合うように南側にあります。
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慈恵堂(本堂)
1639年、川越の大火で喜多院が焼失した後、一番最初に再建された建物で、慈恵大師を祀る御堂です。 訪問当日はイベントの準備作業が行われており、本堂前も横から参拝するように規制されていました。
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多宝塔
川越の大火後の 1639年に建立された多宝塔です。 元々は白山神社と日枝神社の間にあったそうですが、1912年に道路工事の為、慈恵堂脇に移築されました。 その後、解体・復元工事が行われ、1975年に現在の場所に建てられました。
御朱印地で無くなった明治以降は荒廃したようですが、昭和に入ってから再興され、建物の保存状態も良さそうです。
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大黒堂
小江戸川越七福神の1つ、大黒天を祀る御堂です。
何年頃の建物かは不明ですが、川越の七福神めぐり自体が最近かと思うので、それほど古い建物では無いように思います。
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