東京都 江戸東京たてもの園の梅
2020-02-24


江戸東京たてもの園は 1993年に開館した文化財的な価値の高い建物を移築・展示している施設です。 前身は 1954年に開園した武蔵野郷土館なので、かなり古くからある施設です。
園内を散策しているとその時代にタイムスリップしたような雰囲気を楽しむ事ができます。
暇な時にちょくちょく来る施設ですが、天気が良かったので梅の咲き具合を見にきました。

吉野家
江戸時代後期に三鷹市野崎村(現、三鷹市野崎2丁目)に建てられた農家です。
1963年に移築されました。 多分、休日だけかと思いますが、建物内の囲炉裏には火も入っており、昭和30件頃の農村生活を再現しています。
今は面影が全くありませんが、三鷹周辺もこんな建物が建ち並ぶ風景だったようですね...。
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梅は三分咲きですかね...。
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綱島家
先ほどの吉野家よりも古い、1700年代(江戸時代中期)の農家だった建物です。
この建物は世田谷区岡本三丁目にあった物で、1997年に移築・保存されました。 約20年前にこんな建物が世田谷にあったとは信じられないですが、1909年、1957年に増改築され、瓦屋根になっていたそうなので、移築直前の外観はだいぶ違っていたのかも知れません。
移築時に江戸中期の状態に戻す為、屋根を茅葺屋根に戻し、囲炉裏も復元したようです。
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今でも囲炉裏を使っているので、屋根裏には良い感じにススが付着してます。
このススや屋根を守っているのだと思います。
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建物の南側にあった梅の木です。
日当たりが良さそうですが、まだ満開にはならないです。 でもこの時期では早い方かも。
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八王子千人同心組頭の家
江戸時代後期に建てられた建物で、八王子市追分町から移築されました。
千人同心は約1000人の構成で国境警備や日光の火の番などを行っていました。 平同心は上層農民が多かったようです。 しかし、八王子から日光まで歩いて移動して警備を行うのは、現代人には考えられないハードワークです。
江戸時代の農村を中心にしたこのエリアの梅は全体的に低調な感じでした。
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三井八郎右衛門邸
時代がだいぶ現代に近づいて、1952年に建てれられた戦後の建物です。

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