旧本多家住宅長屋門
江戸時代末期に国分寺村の名主だった本田家屋敷の入り口として建てられた長屋門です。
先代当主の隠居所も兼ねてたので、住居的な部分があります。
村医者で分家だった本多雖軒(すいけん)が住宅兼診療所として使用されていた時もあったようです。 八王子や町田から通院する人もいたそうなので、名医だったのかと思います。
現在この長屋門は、武蔵国分寺跡資料館の入り口として使用されています。 ここから先は有料で、近くにある「史跡の駅おたカフェ」でチケットの購入が必要になります。
旧本多家住宅倉
本多家には数棟の倉があったようですが、その中の一つのようです。
1708年に建てられた倉を廃し、1900年に新造したのがこの倉のようで、昭和8年(1933年)に改修された事も判明しています。 外観は石積の建物に見えますが、木造2階建の建物で、石積に見える外壁を使用しているようです。
湧水源
資料館の一番奥にあるのが湧水源の観察ポイントです。
奥に見える崖の丸い穴のような部分の下から湧水が出ています。 関東ローム層の下には武蔵野礫層があり、ここから湧水が染み出てきます。
また、浸食により武蔵野礫層が見えている崖を「ハケ」と呼んでいたようです。
創建時の武蔵国分寺に存在していた七重塔の推定模型です。 国分寺には七重塔を1基置く決まりになっていたようです。 でも、現存する七重塔は見た事が無いです。
塔の高さは 60 m、835年に落雷で焼失、その後、9世紀中頃に再建されて10世紀前半までは存在していたようです。
資料館を出た後、真姿の池湧水群に移動します。
東京とは思えない清流で、関東ローム層でろ過された水がその下の礫層から湧き出ています。
もっと多くの水源があったようですが、都市化が進むにつれて減っていたようです。
清流のそばにある真姿の池。
848年、玉造小町が病気平癒祈願の為に国分寺を21日間参詣した時、どこからとも無く現れた童子が小町をこの池に案内し、池の水で身を清めるように伝えると消えてしまいました。
小町は池の水で身を清めると病は治り、元の美しい姿に戻りました。 「真姿の池」とは、そのような言い伝えか由来のようです。
池の中央にあった社はそれに関係する物でしょうか?
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