京都府 醍醐寺(下醍醐)
2023-11-25


三宝院を拝観した後は、醍醐寺の伽藍を拝観する事にします。
醍醐寺は、山の上の上醍醐と平地の下醍醐に分かれます。 今回は時間が無いので上醍醐は行きません。 過去に上醍醐に行った事がありますが、結構、時間がかかりました。
上醍醐の伽藍は 874年頃から整備されはじめ、下醍醐の伽藍は少し遅れて 904年頃から整備されたようです。 しかし、応仁の乱によって下醍醐の伽藍はほとんど焼失し、五重塔を残すのみとなります。 現在の伽藍は、16世紀末 〜 17世紀初頭に再興された姿です。

総門
大きな寺院ですが、総門は思ったよりも小さい印象を受けます。
総門に関する情報が見当たらず、何時後の門なのかは不明でした。
なお、総門の前の道は旧奈良街道で、京都と奈良を結ぶ重要な道路でした。
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醍醐寺の参道を進むと三宝院の紅葉が塀越しに見えます。
醍醐寺の紅葉は綺麗ですね..。
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西大門(仁王門)
1605年に、豊臣秀頼によって再建されました。
西大門に安置されている仁王像は 1134年に作られた仏像です。 本来、醍醐寺の入り口は南大門で、そこに安置してあった仁王像を西大門再建時に移したようです。
現在、南大門は残ってませんが、五重塔付近に南大門跡があるとの情報を見かけました。
しかし、南大門跡の場所は分かりませんでした...。
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仁王門から金堂までの、参道周辺の紅葉は、とにかく美しかったです。
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金堂
醍醐天皇の発願により 926年に金堂が建立されましたが、永仁年間(1293 〜 1299年)、文明年間(1469 〜 1487年)に金堂は2度消失しています。
現在の金堂は、豊臣秀吉の発願によって紀州満願寺から金堂を移築した物で、1598年から開始した移築事業は、1600年に秀頼の代までかかりました。
どうやら、秀吉は紀州征伐の時に満願寺のある一帯を焼き討ちにする予定だったので、場合によってはこの建物は現存しなかった可能性があります。
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清瀧宮拝殿
案内が無かったので、何の建物なのか分からなかったのですが、この建物の後ろに清瀧宮本殿がある事から、清瀧宮の拝殿だと思います。
ただ、神社の拝殿には見えない作りですね..。 どう見てもお寺の御堂ですし、ここから参拝するような構造にも見えません...。
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