能島城は愛媛県今治市の能島にある海城で、続 100名城の一つです。
能島村上氏は芸予諸島を中心に勢力も持つ海賊でした、 1419年頃、村上氏は能島村上家、因島村上家、来島村上家の3家に分立しており、その頃に能島城が築城されたとの説があります。 その後、村上氏は大内氏や毛利氏などに加勢して勢力を伸ばしていき、1555年の厳島の戦いにも毛利氏方として参戦しています。
毛利氏と大友氏が対立すると、1571年、大友氏側に付いた能島村上家が、毛利氏方の小早川隆景、因島村上軍、来島村上軍らに攻められるような事もありました。
1587年、小早川隆景が筑前に転封になると能島村上家も能島を離れ、能島城は廃城になります。 さらに、1588年に豊臣秀吉から海賊禁止令が出されると、村上氏は海賊としての活動が出来なくなります。
能島水軍潮流体験船 水軍レストラン
能島城は無人島なので、上陸ツアーに参加しないと能島城に入る事が出来ません。
今回は事前に上陸ツアーに申し込んでおいたので、受付はここの店内で行います。
上陸ツアーに空きがあれば、当日参加できる場合もありそうですが、上陸するには基本的にツアーへの事前予約が必要です。
海が綺麗ですね..。
上陸まで少し時間があるので、それまでの間に続 100名城のスタンプを押しに、今治市村上海賊ミュージアムに行きます。
写真右側の茶色い建物が先ほどの水軍レストランで、左奥にある建物が今治市村上海賊ミュージアムです。 今回は時間の都合によりミュージアムの見学をぜずにスタンプだけ押す事にしました。
この船が上陸ツアーで乗船する船です。
船の大きさから見ても、1日に能島に上陸できる人数はかなり制限されています。
当日は団体客と重なった事もあり、ほぼ満席でした。
今回の四国旅で一番楽しみにしていたので期待が高まります。 天気も良くて助かりました。
この後、ライフジャケットを着用し、乗船して能島へと向かいます。
鯛崎島 弁財天
最初に見えてきたのは能島の南側にある鯛崎島です。
島の上に見える建物は弁財天の祠です。 鯛崎島も年に1回の「能島弁財天まつり」の時に上陸できるようです。 この島からも掘立柱建物跡や陶磁器などがみつかっているそうなので、能島城の一部として機能していたのかも知れません。
能島と鵜島の間付近の潮流の様子です。
瀬戸内海なので波は穏やかなのですが、潮の流れがもの凄く速いです。 まるで川の流れのようです。 このような急流が他にもあり、時間によって流れが変わるとしたら、能島周辺を人力の船で航行するのは大変だったと思います。
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