河後森城は、愛媛県北宇和郡にある山城で、続 100名城の一つです。
築城年代、築城者ともに不明な城です。 永禄年間(1558 〜 1570年)に土佐一条氏から養子に入った河原淵教忠が城主になった記録が文献資料としては一番古そうです。
情報が少ないのですが、この城は 1584年頃には長宗我部氏の配下になっていたようです。
豊臣秀吉が四国を平定した後は、小早川氏、戸田氏、藤堂氏、富田氏へと所領が移り、城代が置かれていたようです。
1614年に伊達秀宗が宇和島藩を設立すると、付家老の桑折景頼が河後森城を住居としていたようですが、1615年の一国一城令で廃城になります。
風呂ヶ谷駐車場
思ったよりも広い駐車場でした。
駐車場に河後森城の散策マップが置かれていたので、それを片手に散策する事にします。
他に数人いましたが、城の散策というより自然観察的な目的の方が多かったように思えます。
また、河後森城には地元の小学生が作成した案内板があり、楽しく見学する事ができました。
井戸
深さは 2m、広さは 4�u あります。
奥の山側の岩盤を削り、草で分かりにくいですが、手前の方に石を積んで水を堰き止めている感じです。 井戸と言うよりも、小さな溜池に近いのかも知れません。
登城路はこんな感じの山道です。
それなりの山道なので、天気が良くて助かりました。
続 100名城のスタンプはこの先の西第十曲輪なので、雨が降られたらスタンプを押すのも大変だったかも知れません。
西第十曲輪の虎口
城だった頃はもっと急だったようで、道幅は 2m ありました。 東側には雨水を流す為の側溝もあったようです。 門柱の柱穴が発掘調査により見つかっており、棟門が復元されてました。
登城路の両脇は土塁になっており、ここを通る敵を西第十曲輪側から狙い撃ちする構造のようです。
西第十曲輪
ここからは2棟の掘立柱建物跡が見つかっています。 2つの建物は距離が近すぎる事から、短期間のうちに建て替えられたと考えられているようです。
一つは馬屋と思われる建物で、当時の掘立柱建物が再現されていました。 続 100名城のスタンプはこの建物に置かれています。
河後森城は山の地形を利用している為に「コ」の字型をしており、西第十曲輪は西側の先端部分にある曲輪です。 周辺には何か所も竪堀が掘られています。
馬屋の馬が紙で再現されてました。
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