応仁・文明の乱(1467 〜 1477年)の頃、山名宗之が米子飯山砦を築いたのが米子城の始まりと考えられています。 飯山は国道 9号を挟んで現在の米子城の隣の山になります。
戦国時代に尼子氏が米子城を支配しますが、1562年の頃には毛利氏の支配下に入ります。
1591年、吉川広家が隣の米子湊山に築城を開始し、それが現在まで史跡として残る米子城になります。 関ヶ原合戦の後の 1600年に広家は周防国岩国に移封されますが、この時の米子城は未完成宇でした。 1602年に中村一忠が米子城に入り、米子城を完成させます。
1609年に一忠が急死すると中村家は断絶、翌年、加藤貞泰が米子城の城主となります。
1617年貞泰が転封になると池田由之の所領となり、1632年からは池田家の筆頭家老である荒尾氏が幕末まで代々城代を務めます。
三の丸駐車場
米子城の駐車場は何か所かありますが、三の丸駐車場がある場所や、隣の空き地は米子城の三之丸だった場所です。
将来、隣の空き地は公園として整備されるようで、埋め立てられてしまった内堀や、米蔵跡の平面提示を行う計画があるようです。
三の丸番所
続 100名城のスタンプが置かれているガイダンス施設です。
米子城を見学するのに役立ちそうなパンフレットなどが置かれているので、先に立ち寄ると良いかと思います。 非常に暑かったので、ここで少し休んでから米子城を見学する事にしました。
二之丸枡形虎口
枡形の広さは、東西 25.44m、南北 22.72m です。 かなり大きな枡形虎口です。
案内では、石垣の高さは 4m あり、入り口正面の石垣に2個の鏡石があるとの説明がありました。
ただ、虎口の石垣は、実際に見た感じでそんな高さがあるようには見えず、「鏡石」と呼べるほど大きな石も見当たりませんでした。 石垣が倒壊している感じもしなかったので、埋没保存しているのでしょうか?
表中御門付近
桝形虎口の内側にある階段を登ります。
どうやらこの階段を登った所に枡形虎口内側の表中御門があったようです。
門を潜った先は直角に右折する構造になっていて、ここから二之丸に入ります。
旧小原家長屋門
表中御門の先に旧小原家長屋門が見えます。
この長屋門は、元々ここにあった訳では無く、市内西町の小原家にありました。 長屋門が市に寄贈され、1953年にこの場所に移築されました。
小原氏は家老だった米子荒尾氏の家臣で禄高は 120石でした。 鳥取市に現存する唯一の武家屋敷のようで、貴重な江戸時代中期の建物です。
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