神奈川県 箱根関所
2026-03-20


徳川幕府によって箱根関所が現在の場所に置かれたのは 1619年の事になります。
関所は全国 53ヶ所に設置されましたが、その中で、木曾福島、碓氷、新居、箱根の 4ヶ所は規模も大きく重要な関所として扱われています。 
気が付いたら、木曾福島以外の関所を訪問してました。 今度、木曾福島の関所にも行ってみる事にしましょう。 なお、箱根関所は 1869年に明治政府よって廃止されます。

箱根関所資料館
1965年に箱根関所資料館は開館しました。
関所の廃止後、箱根関所の詳細は忘れ去られますが、箱根関所に関する資料が見つかった事により、関所の全体像がはっきりしてきました。
その後、発掘調査による詳細な調査が行われ、建物の復元や周辺の環境整備が行われました。 資料館内の撮影は出来ないので内部は紹介できません。
展示されていた資料の中で、お玉と言う女の子による関所破り事件の話が衝撃的でした。
お玉は江戸に住むおじさんの家に奉公に出ていたのですが、実家に帰りたくなり家を抜け出しました。 その時、箱根関所を破ろうとして捕まり、関所破りの罪で死罪になります。
磔になる所を温情で獄門(さらし首)になったとの事ですが、当時の厳しい時代背景が伝わって来る出来事です。 しかし、温情でさらし首かよ...。
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資料館の見学を終えた後、復元された箱根関所を見学します。
箱根関所は資料館の裏側にあるので資料館横の遊歩道を進みます。
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江戸口御門
江戸口御門の手前は江戸口千人溜と呼ばれる広場になっています。
この広場は関所改めを待つ人が待機する場所として使用されました。
関所の開門時間は明け六ツ時(午前 6時頃)から暮れ六ツ時(午後 6時頃)まででした。
麓の宿場町で宿泊して時間を調整していたようです。
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大番所
箱根関所の中心的な場所です。
小田原藩から出向した関所役人の詰所で、ここで関所改めが行われました。
建物の内部は「箱根御関所日記書抜」などの資料を参考に再現されています。 なお、人形に関しては史実と異なる印象を与えてしまう事を避ける為、衣装に色などを付けずシルエット展示に統一しています。 変にリアルな人形を遣うよりも良いかも知れません。
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大番所 上の間
大番所の中で一番格式が高い部屋です。
普段は伴頭、横目付が座り、大名や家老の接待などに使われる事もありました。
伴頭とは、関所の最高責任者の事です。
横目付は、伴頭を補佐したり、伴頭が不正を行わないように監視する役割でした。 関所の中では伴頭に次ぐ地位の役職です。
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