当時の日本では正式な僧侶になる為の儀式である授戒が行える師が存在しませんでした。 鑑真はその要請を受け日本に渡ろうとしますが、当時の交通事情は厳しく、日本に渡る事は命がけでした。 鑑真も6度目にしてやっと日本にたどり着きましたが、その時には失明していました。
唐招提寺は 759 年に新田部親王の旧地を賜って建立された鑑真の私寺でした。 当時は講堂といくつかの御堂があった程度だったそうです。
南大門
唐招提寺にバイクで来たのは初めてでしたが大きな観光駐車場が整備されていたので停める場所には苦労しませんでした。
ここで拝観料を支払って内部に入ります。 現在の建物は 1960 年に再建された物です。
金堂(国宝)
奈良時代に建立された金堂としては唯一の現存建物になります。
鑑真の死後、共に日本へ渡った弟子の如宝によって金堂は建立されたと伝わっています。 平成の大修理の際、年輪年代法によって 781 年に伐採された木材が使用された事が判明してますが、正確な建立年代は不明なようです。 平成の大修理は 2000 年〜 2009 年にかけて行われた大規模な物で完全に解体してから組み直されています。 初めて訪問した時は解体修理中でした。
鼓楼(国宝)
1240 年に建立された鎌倉時代の建物です。 唐招提寺では唯一の重層建築物になります。 名前からして太鼓でも鳴らす場所かと思いましたが、鑑真和上が持ってこられた仏舎利が収められており、舎利殿とも呼ばれてます。
右側に見える非常に長い建物は礼堂東室になります。
礼堂東室
この角度から見ると普通の建物ですが、上の写真でも解るように19間もある非常に長い建物です。 南側8間が礼堂、北側10間が東室、その中間1間が馬道と呼ばれる通路になっています。
1283 年に僧房を改築して建てられたようです。
宝蔵(国宝)
南側に同じような形をした一回り小さい建物があり、そちらが経蔵でそちらも国宝です。 唐招提寺創建時に建立されたと伝えられています。
講堂(国宝)
金堂の裏手にある大きな建物で、唐招提寺創建時に平城宮の東朝集殿を賜って移築した物です。 鎌倉時代の改修の影響を受けてはいますが、平城宮の面影を残す貴重な建物です。
戒壇
僧侶になる為の授戒が行われた場所です。 唐招提寺創建時に建立されたようですが建物は火災で焼失しています。
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