青森県 浪岡城
2019-08-20


浪岡城の正確な築城年代は不明ですが、1460年頃に北畠親房の子孫と考えられている浪岡氏によって築城されたと考えられています。  ただし、浪岡氏を北畠氏の子孫とする一次資料は現時点では見つかっていないようです。
津軽に勢力を伸ばした浪岡氏ですが 1562年の川原御所の乱にて衰退、1578年に大浦(津軽)為信に攻められて浪岡城は落城します。 なお、資料によっては落城年代が 1590年とされている場合もあるようです。 落城後は田畑として利用されていました。

浪岡城案内所
バイクは浪岡城案内所にある駐車場に停めました。
結構広い駐車場で、続100名城のスタンプもここに置かれていました。 また、散策用のマップも置かれているので先に訪問すると良いかと思います。
ひたすら雨の中を走行して来ましたが、浪岡城に着いた時には雨が止んでいたので助かりました...。
禺画像]

猿楽館
雑草が生えすぎていて案内が無ければ何だか分からない場所ですが、ここに能舞台があったかも知れないと言われている場所です。 詳しい事はあまり分かって無いようです。
正直、どの辺りが土塁跡なのか良く分からなかったです...。 夏はこんな感じですかね...。
禺画像]

東舘
浪岡城落城後、津軽為信の弟が代官所としてしばらくの間利用していたようです。
ここより東側には道路を挟んで新館がありますが、私有地っぽい感じなので見学可能なのかは不明です。 新館は浪岡城で最も新しい曲輪で 1520年に拡張されました。
禺画像]

外郭と堀
浪岡城の北側には大きな堀があり、その先には外郭がありあす。
幅の広い堀なので、恐らく当時はもっと深かったと思います。
外郭の大部分は道路の北側にある部分で、現在は住宅地となっています。 Google Map を航空写真で見ると、外郭の形状が現在でも残っているのが分ります。
禺画像]

禺画像]

東館と北館の間には帯郭のような場所があり、橋が架けられいました。 当時も緊急時に落とせるような橋があったのかも知れません。
帯曲輪は北館を囲むように配置されており、今でのその形状が良く残っています。
禺画像]

禺画像]

北館の虎口附近
北側の帯曲輪から北館に架けられている橋です。
この先は家臣の住居があった場所で、橋を渡った先には門があったと思います。
禺画像]

北館

続きを読む

[青森県]
[旅行]
[続日本100名城]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット