鶴ヶ岡城は、山形県鶴岡市にある平城です。
1463年に大泉長盛が築いた大宝寺城が鶴ヶ岡城の前身になります。 大泉氏はその後、大宝寺氏を名乗ります。
大宝寺氏は戦国時代に入ると上杉氏と手を組み、この地域を掌握します。 しかし、大宝寺氏は上杉氏と最上氏の争いに巻き込まれる事になります。 1583年に大宝寺義氏が最上義光に通じていた家臣に討たれると、大宝寺氏は徐々に滅亡へと進みます。
大宝寺城は上杉氏の支城として使われていましたが、関ヶ原合戦によりこの地域は最上氏の所領となり、大宝寺城は 鶴ヶ岡城に改名されます。
1622年に最上氏が改易されると、酒井忠勝が鶴ヶ岡城に入城して大規模な改修が行われます。 その後、幕末まで酒井氏が鶴ヶ岡城の城主を勤めます。
鶴岡公園東駐車場
この先の秋田県では警報が出る程の天候の中、なんとか鶴ヶ岡城隣の駐車場に到着しました。 到着した時には雨が上がったのですが、こんな天候なので駐車場の利用者はまばらです。 かなり大きな駐車場なので、よほどの事が無ければここに停められると思います。
鶴ヶ岡城の縄張りは輪郭式で、この辺りは三之丸だった場所かと思います。
駐車場から続100名城のスタンプが置かれている庄内神社の方に行く途中にあった石垣です。 角の部分が算木積で、側面の方が亀甲積のように思えます。
もし、城があった頃の石垣だとすれば、かなり新しい年代の積み方に思えるので、酒井忠勝が入城した頃の石垣でしょうか?
御城稲荷神社
公園に入ってすぐの場所に鎮座しているのが御城稲荷神社です。
ここは鶴ヶ岡城の鬼門に位置する場所で、二之丸北東の隅だった場所です。1708年に六代藩主酒井忠真が鎮守として創建した神社です。
城内にある神社ですが、年1回、城下の人々も特別に参拝できたようで、鶴ヶ岡城が解体された後も神社が残ったのは、人々の信仰も無縁では無かったと思います。 実際に訪れてみると、今も良く手入れがされている神社です。
二之丸跡
現在は公園の北広場とされている場所で、ここは二之丸だった場所です。
1871年の廃藩置県で廃城になると、建物は全て破却されて公園化されました。
かなり広大な敷地なので勝手に御殿とかの存在を想像したのですが、昔の絵図を見ると、土蔵や納戸蔵が数軒描かれている程度でした。
北広場周辺の盛土は、多分、当時の土塁跡だと思います。
内堀跡
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