2023-07-15
堀の深さとは全然違うと思いますが、内堀があった場所はだいたい残されているようです。
多分、菖蒲園になっている場所も、昔は内堀だった場所だと思います。
中堀跡
二之丸北側にある中堀跡の様子です。 堀幅がかなり広い印象を受けます。
鶴ヶ岡城には三重の水堀があったようですが、外堀は残っていないように思えます。 但し、川の一部が外堀として利用されていた可能性もあります。
中堀に関しては北側と西側が現存しているようですが、それ以外の中堀は埋め立てられたように思えます。 大きな堀は埋め立てるのも大変なので、そのまま残る場合が多いのかも知れません。
荘内神社(本丸跡)
本丸御殿があった場所は、現在は荘内神社の敷地となっています。
続100名城のスタンプは、ここの社務所に置かれています。
荘内神社は廃藩置県後の 1877年に創建され、4人の歴代藩主(初代・酒井忠次、2代・酒井家次、3代・酒井忠勝、9代・酒井忠徳)が祀られています。
訪問時は「えんむすび七夕祭」の最中だったので、普段とは違う飾りつけがされてました。
手水舎のアジサイは綺麗でした。
二之丸大手門跡
荘内神社の参道にある鳥居がある場所が、二之丸の大手門があった場所でした。
あまり情報が無いのですが、昔の絵地図を見ると2階建ての櫓門だったようです。
大寶館
1915年に大正天皇の即位を記念して建てられた建物です。
開館当初は1階が物産陳列場と図書館、2階が食堂と集会所でした。 1951 〜 1985年まで図書館として使用され、修繕工事後、1988年から資料館として公開されています。
城があった頃の位置関係で言うと、橋を渡った先が枡形で、枡形の内側にあった門が本丸中門でした。 この建物は、その本丸中門があった場所に建てられているようです。
金峯石
金峯山から切り出された花崗岩です。
切り出した時の矢穴が残っています。
1683年に隅櫓の石垣復旧が行われた時、金峯石から切り出された石材は船を使って大山街道の橋まで運ばれ、そこから大手門前まで陸路で運んだそうです。
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