神奈川県 川崎市立日本民家園(1)
2024-02-24


川崎市周辺から消滅しつつある古民家を保護する目的で 1967年に開園したのが川崎市立日本民家園です。 神奈川県内、および、中部〜東北地方の古民家が移築され、一般公開されています。
岡本太郎美術館を訪問した時に偶然存在を知り、こちらにも立ち寄る事にしました。

菅原家住宅
山形県鶴岡市松沢から移築した建物で、18世紀末頃の農家です。
寄棟造りの建物で、入り口の上にある切上窓を「高ハッポウ」と呼びます。 積雪量が増えると、この窓から出入りしていたようです。 また、屋根の側面にも高窓があります。
他にもこの建物には豪雪地帯特有の特徴さあり、入り口を入るとアマヤと呼ばれる前室があり、建物周辺が雪囲いと言う茅束や茅スダレで囲まれています。 このような囲いは初めて見ました。
鶴岡市と言えば、昨年、鶴ケ岡城に行きました。 その周辺の農家はこんな感じの建物だったのでしょう。
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工藤家住宅
岩手県紫波郡紫波町から移築した建物で、宝暦年間(1751 〜 1764年)の頃の建物です。
L字型をしている事から「南部の曲屋」とも呼ばれています。 入り口から突き出た場所はマヤとばれる馬屋で、2頭の南部馬が育てられていたらしいです。
入り口の先はギワと呼ばれる土間で、母屋には天井がありません。 冬場は囲炉裏の暖で過ごしていたようですが、かなり寒そうな印象を受けます。
養蚕と葉煙草の栽培で生活していたようですが、天井が無い建物だと養蚕はやりにくいように思えるのですが...。
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菅の船頭小屋
1929年の小屋で、菅(川崎市多摩区)と調布を結ぶ渡船場で使用されていました。 船頭はこの小屋で客待ちしていたようです。
小屋の両脇には丸太を通す輪が取り付けてあり、そこに丸太を通して担ぎ上げて移動していたようです。 時代劇にでも出てきそうな小屋ですが、昭和初期でも渡し船が利用されていたようです。 このような小屋が、よく残っていたと思います。
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清宮家住宅
川崎市多摩区登戸から移築された農家で、17世紀末の建物です。
宮家は明治以前は農家でしたが、それ以降は大工として生活していたようです。

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