智積院は、京都市東山区にある真言宗智山派の総本山です。
1132年、覚鑁(かくばん)が高野山に大伝法院を創建しますが、覚鑁は教義上の対立により修行の場を根来山に移します。 その頃、智積院は大伝法院の塔頭として創建されます。
大伝法院は学問の中心として栄えましたが、豊臣秀吉と対立して焼き討ちにあいます。
関ケ原の戦に徳川家康が勝つと、1601年に豊国神社の土地と建物が与えられ智積院の再興が始まります。
総門
智積院へは
三十三間堂から歩いて移動しました。 歩いて数分程度の距離です。
総門なので、ここが寺の入り口なのですが、駐車場などがある別の出入り口があるので、ここから出入りする人は少ないと思います。
智積院は 1682年に火災にあっており、総門も東福門院から移築されたと伝わります。
総門からだと、ここを通って受付のある入り口側に移動します。
左側の塀の先は恐らく講堂だと思います。
人も少なく静かな場所です。
鐘楼堂
1998に建立された鐘楼堂です。 鐘も同じ時期に鋳造されたようです。
鐘楼付近の紅葉は見事で、智積院の中で一番美しかったように思えます。
智積院の境内は、拝観料無しで入れる場所が広いので、お参り後の紅葉散策には良い場所かも知れません。
イチョウの黄色い絨毯も良い感じです。
金堂
一つ前の世代の金堂は、1705年に建立されますが、1882年の火災で焼失します。
長らく仮の建物が本堂として使用されますが、1975年に現在の建物が再建されます。
明王殿
1882年の火災で本堂が消失し、方丈殿が仮本堂として使用されていました。
その仮本堂も 1947年の火災で焼失してしまい、大雲院の本堂が譲渡されて現在の講堂がある場所に移築されます。 1992年に講堂を再建した際、明王殿としてこの場所に移築されました。 ここは、智積院の護摩や祈祷が行われる場所です。
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